2024.06.21
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小江戸、川越で楽しむ小旅行
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江戸の面影を色濃く残す川越の街
川越はその街並みから栃木、千葉県の佐原とともに日本3大小江戸のひとつに数えられている。徳川幕府の時代には江戸の台所とも呼ばれ、今でも毎年秋に行われる川越まつりを見ても東京の神田明神や日枝神社で営まれる天下祭りの影響が色濃く、江戸の衛星都市というイメージが強い。確かに徳川期、江戸の北方を守る防衛拠点、あるいは江戸への物流拠点として発展したという歴史があるが、中世、川越は江戸をはるかにしのぐ大都市だった。
そもそも江戸は入江で、複雑な海岸線が現在の内陸部まで深く入り込んでいて利用しにくい土地だった。一方、川越は入間川に沿って肥沃な土地が広がり、平安期には武蔵武士の重要拠点となっていたのだ。
中世の川越は江戸を凌ぐ重要軍事拠点
川越の地名に由来する河越氏も武蔵武士のひとつで、一族の当主である秩父重隆の名代として在庁官人を務めた。源義経と姻戚関係を結ぶなど鎌倉幕府の御家人としても力を振るうが義経の失脚や企図した一揆の失敗などにより敗走する。河越氏に代わってこの土地に入り、実質的に支配したのが扇谷上杉家家宰の太田道灌で、徳川家康が関東に入る100年も前に後に家康の居城となる江戸城を建てた人物。現在の川越まつりに多大な影響を残す山王祭りが執り行われる赤坂の日枝神社も太田道灌により川越日枝神社から分祀されたのがはじまり。つまり川越は徳川幕府の歴史とともに築かれていった江戸の衛星都市というよりむしろ、江戸の街の源流であったと言える。
造営当時のまま現存する希少な本丸御殿
江戸城と同じ長禄元年(1457年)に扇谷上杉家の上杉持朝の命により太田道真、道灌親子が築いた城。上杉持朝は自らが川越城の主となる一方、南の防衛ラインである江戸に築いた城には道灌を置き、2つの城を繋ぐ軍事道路として後の川越街道を敷いた。徳川幕府の時代になると逆に江戸城が代々の将軍の居城となり、川越は北の防衛拠点として老中などの重臣が城主を勤めることとなる。徳川家の将軍たちは軍事的なデモンストレーションも兼ねて度々川越に鷹狩りをしに訪れている。
現在、川越城には嘉永元年(1848)に当時の藩主、松平斉典が造営した本丸御殿が現存する希少な城として県の有形文化財や日本100名城にも指定されている。
川越城本丸御殿
- 電話番号
- 049-222-5399
- 住所
- 川越市郭町2-30-1
- 営業時間
- 9:00~17:00(入館は~16:30)
- 休館日
- 月曜(祝日の場合は翌日)、第4金曜(祝日の場合は開館)
- 入館料
- 100円
『旅コンテンツ完全セレクション 歴史ある 美しい街並み』p.91
江戸時代の商家が並ぶ街並みを歩く
小江戸、川越を象徴する通りで、瓦屋根を載せた蔵造りの商家がずらりと並ぶ。明治26年(1893)の川越大火でも焼け残った築200年を越す大澤家住宅や、午前6時、正午、午後3時、6時と1日4回、街に時刻を告げる時の鐘などの見どころも多く、食事や食べ歩き、お土産探しなどが楽しめるお店もたくさんある。
観光用の人力車も走っており、車夫の案内で周辺を散策するのも楽しい。江戸時代へのタイムスリップ気分が味わえる。
一番街(蔵造りの街並み)
- 電話番号
- 049-222-5556(川越駅観光案内所)
- 住所
- 川越市幸町
『旅コンテンツ完全セレクション 歴史ある 美しい街並み』p.88
名産品、サツマイモを使ったスイーツに舌鼓
江戸っ子の駄洒落好きは有名だが、サツマイモを13里と呼ぶのもそのひとつ。江戸の焼き芋売りが考えたキャッチコピーで「九里より美味い十三里」というのがあるが、江戸の起点である日本橋からサツマイモの名産地である川越までが13里(52km)ほど。9里、つまり栗よりも13里ほどの距離にある産地で採れるサツマイモの方が美味しいという意味で、実状と言葉遊びが絶妙にマッチした名文だ。川越は栽培するサツマイモの品質の高さはもちろん、江戸まで船を使っての物流が整っていたこともあり名産地となった。現在でも街にはサツマイモを使ったスイーツの名店が点在。とくに菓子屋横丁は石畳の通りに30軒ほどのお菓子屋さんがあり、人気を集めている。
菓子屋横丁
- 電話番号
- 049-222-5556(川越駅観光案内所)
- 住所
- 川越市元町
『旅コンテンツ完全セレクション 歴史ある 美しい街並み』p.90