Vol. 21

都人が恐れつつ憧れた奥州・平泉金色のお堂を包む 幻想的な雪景色

夏草や 兵どもが 夢の跡
雪景色の静寂に、夏の句が胸に迫り
金色堂の輝きがいっそう際立つ冬の平泉
浄土の伽藍に戦乱と繁栄を想像する

真っ白な雪をまとい、杉並木の奥に建つ新覆堂

「夏草や 兵どもが 夢の跡」。奥州藤原氏3代の戦乱と繁栄を思い浮かべ、雑草が生い茂るばかりの広い野を前に詠んだ芭蕉の代表作だ。初夏の句だが、交通手段が劇的に発達し観光客の数も増大した現代では、しんしんと雪の降る冬こそが、松尾芭蕉がこの地を訪れた時代の静けさを通じて激しくも華々しい中世の平泉を想像するのに適した季節にも感じられる。
都の人々から、蛮族を意味する「蝦夷」「俘囚」という蔑称で呼ばれながら、朝廷や源平という強大な勢力を相手に半ば独立国とも言える領地を築いた奥州藤原氏。金と馬という名産品を経済的バックボーンに、京、鎌倉に対峙した。初代、清衡は、プライドを持って自らを「俘囚の上頭」と称していたというが、文字通り黄金に輝く金色堂をはじめ、浄土世界を地上に具現化させた中尊寺は、その権勢をいまに伝える大伽藍だ。白銀に包まれ、いっそう厳かな雰囲気となる雪景色に、その繁栄と滅亡の歴史が想見される。

   

平泉ゆかりのスーパースター

奥州藤原氏3代の時代、京の人々にとって奥州、平泉は、蛮族の棲む土地として蔑み恐れられる一方、神秘のベールに包まれていながら文化レベルが高く、金を豊富に産出するなどエキゾチックな魅力溢れる北の大文化圏でもあった。また、奥州藤原氏の縁者には源義経、西行など、いくつもの伝説と物語を持ち、いまも昔も日本人に人気の歴史的スーパースターが多い。そのため、義経の忠実な家来、武蔵坊弁慶の墓や、義経終焉の地、高館義経堂などがあり、彼らの足跡を辿るのもおもしろい。
さらには西行が歌に詠んだ衣川や束稲山を訪ねたり、古来からの歌枕であり、数々の和歌で奥州のシンボルとして描かれた壺碑(つぼのいしぶみ)を見たりと、平泉に点在する和歌や俳句の舞台、モチーフを見て回るのもいい。子供と禅問答して敗れたといういかにも西行らしいエピソードが残る西行戻しの松公園などで、歌人の人柄に触れるのも楽しいものだ。
(『おとな旅プレミアム仙台・松島・平泉’19-’20』P130-131)


松島や ああ松島や 松島や

 

松尾芭蕉が松島を詠んだと信じる人も多い有名な句だが、実は違う。江戸時代後期の狂歌師、田原坊の「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」の「さて」が「ああ」となり、作者まですり替わって広まった。芭蕉が詠んだ松島の句は「島々や 千々に砕きて 夏の海」というもので、当然だがこちらにはきちんと季語がある。俳句の形ですらない「松島や~」がなぜ芭蕉作となったのかはわからないが、絶景ぶりを説明するには地名を重ねて連呼するのが効果的であったのかもしれない。

 

さて、芭蕉が松島をおとずれたのは夏であったが、この土地には冬ならではの楽しみがある。日本屈指の生産量を誇る海の幸、牡蠣だ。松島の牡蠣養殖は400年もの歴史があり、松島産牡蠣は身がしまって濃厚な旨味と風味が特徴。旬は10~3月で、この時期は牡蠣を目当てに訪れる人も多い。プレハブなどの簡易的な建物で味わう牡蠣小屋も人気で、殻付きの牡蠣を大きなスコップで鉄板に移して蒸し焼きにする豪快なスタイルが楽しい。旬の時期にのみ営業する松島観光協会のかき小屋では、殻付き牡蠣焼き50分食べ放題で牡蠣飯付き3200円。焼きあがった頃合いを見てフタを開けるとモワッと湯気が立ち、殻を剥けばプリプリに膨らんだ身が現れる。焼きあがったそばから剥き、剥いては食べる牡蠣好きのパラダイス。制限時間内にたっぷりと堪能できる。
(『おとな旅プレミアム仙台・松島・平泉’19-’20』P111)

 

画像素材:PIXTA


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