vol.103

京の都に倣い、江戸幕府へと引き継がれた都市整備鎌倉発展の中心は鶴岡八幡宮にあり

南を海、他の3方を山に囲まれた要塞都市
政治の天才とも評された源頼朝の
街造りと信仰色濃い鶴岡八幡宮を起点に歩き
現代に続く鎌倉の歴史を再発見


鶴岡八幡宮に始まる鎌倉幕府の街造り

おとな旅 鎌倉

治承4年、西暦でいうところの1180年は源頼朝とその一統にとって特別な年だった。石橋山で惨敗して岩屋に隠れ、船で相模湾に出て安房国へと逃れる。が、そこで上総広常をはじめとする東国各地の豪族たちに使いを出して味方となるよう説得。ある者には脅しつけるように下知を出し、ある者には頼み込むようにして彼らを配下におさめ鎌倉に向かう。命からがら敗走してからたった2カ月。総勢5万とも言われる大軍勢を率いての進軍を果たしたのだ。
鎌倉入りした頼朝が自身の屋敷を建てるより早く、いの一番で取り掛かったのが八幡さまの遷宮。旧暦の治承4年10月6日に相模国入りした頼朝は、翌日7日に当時、材木座にあった八幡宮を遥拝し、その5日後には現在の場所付近に遷している。


攻め入る敵を想定し、幕府の権威を高める細心の工夫

おとな旅 鎌倉

頼朝による八幡さまの遷宮は、単なる宗教的事業ではない。鶴岡八幡宮を中心に、その東隣に自身の住まいであり政庁でもある御殿を構え、お宮から由比ヶ浜まで約1.8kmにも及ぶ真っ直ぐな参道を整備する。これが現代まで続く鎌倉のメインストリート、「若宮大路」で、京の朱雀大路をモデルに造られた。しかも、海からお宮に近づくにつれて徐々に道幅が狭くなるという計算の細かさ。大勢の敵兵が御所に押し寄せた場合、気付かぬうちに渋滞を起こして侵攻を遅らせるというのが第一の狙いだが、もうひとつ重要な訳がある。絵画でいう遠近法を用いて奥の高台に位置する八幡宮をより遠くに、より威光を増して見せたのだ。
後世、徳川家康は源頼朝を尊敬し吾妻鏡を読み込んで、これを参考書として自身の施策や都市計画をさまざま立てたというのはよく知られるところだが、頼朝が鶴岡八幡宮と若宮大路で見せた絵画的な視覚効果と宗教的威光を借りる手法についても、家康は江戸の築城と街づくりに大いに利用した。
浮世絵には、大店や蔵の建ち並ぶ通りやお堀が画角中央の江戸城に向かって延び、その斜め後ろに富士山が立つ、という構図がたくさん見られるが、これは絵師たちの創作ではなく頼朝に学んだ家康の計算。太陽などと並んで原始的とも言えるほどに深く信仰される富士を背負って聳える江戸城は、お江戸を歩く人々に直感的に敬うべき権威だと印象付けた。今年、源頼朝を中心に展開するNHKの大河ドラマは、来年、徳川家康を取り上げることが決まっている。日本史上、最初と最後の武士政権を築いた2人の武将のリレーとなるが、彼らの思惑や共通点に想像を馳せつつ鎌倉を歩くのもおもしろい。


勝負、出世、縁結び、安産のご利益得られるパワースポット

■鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

おとな旅 鎌倉

鎌倉幕府成立より1世紀以上前のこと。源頼朝の祖先である源頼義が京都の石清水八幡宮を勧進し、現在の材木座にあたる由比郷鶴岡に鶴岡若宮を建てたのが鶴岡八幡宮のはじまり。源氏の守り神であり、武運の神さまでもあったことから源頼朝が深く崇敬し、幕府で取り掛かる最初の事業として八幡さまの遷宮を行った。
以降、徳川幕府の時代に至るまで武家の信仰を集め、鎌倉幕府滅亡後も豊臣秀吉や徳川家康の庇護を受けた。秀吉、家康、徳川歴代将軍が本殿や参道の造営、修復をしたとの記録が残っている。
境内には頼朝公自ら人頭指揮に立って施工された若宮大路の段葛や、段葛同様、北条政子の安産を祈念したとされる政子石、吉野で捕らえられた静御前が悲しみの舞を踏んだとされる舞殿など、源氏、北条氏ゆかりの文物が多数残り、現在でも毎年9月には鎌倉幕府が始めた流鏑馬神事が執り行われている。
また、近年、鶴岡八幡宮は花手水の美しさでも知られており、手水舎には季節によってさまざまな種類の花が浮かぶ。梅雨の季節は、鎌倉らしさ満点の紫陽花が参詣者の目を楽しませている。


おとな旅 鎌倉

 電話 :0467-22-0315
 住所 :鎌倉市雪ノ下2-1-31
 開業時間 :6:00~20:30、宝物殿9:00~16:00
 休業日 :無休
 料金 :拝観無料(宝物殿200円)
 アクセス :JR鎌倉駅から徒歩10分
 駐車場 :あり
(『おとな旅プレミアム 鎌倉』 P.35)


北条政子が出産したとされる比企能員の屋敷跡

■妙本寺(みょうほんじ)

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鎌倉時代に興った日蓮宗最古の寺。現在、妙本寺が建つこの土地には、鎌倉時代、源頼朝の乳母で、公不遇の時代を支え続けた比企尼の甥、比企能員の屋敷があった。比企能員は、尼の養子となり、約20年にわたる彼女の忠節に報いて頼朝に重用された。比企一族は後に北条家と対立し、比企の乱で滅んだが、頼朝存命中は主要な御家人の1人であり、政子が頼家を出産した折には御台所の産屋として選ばれるほどの信頼を得ていたのだ。
屋敷跡地に妙本寺を開いたのは能員の末子で、乱が起きた時には京都におり、まだ幼かったために難を逃れた比企大学三郎義本。境内には比企一族を供養する宝塔や、建長寺の仏殿と並ぶ鎌倉最大級の木造建築、祖師堂など、見どころが多い。


おとな旅 鎌倉

 電話 :0467-22-0777
 住所 :鎌倉市大町1-15-1
 開業時間 :10:00~16:00頃
 休業日 :無休
 料金 :志納
 アクセス :JR鎌倉駅から徒歩10分
 駐車場 :なし
(『おとな旅プレミアム 鎌倉』 P.71)


鎌倉銘菓の代表、鳩サブレの形は鶴岡八幡宮に由来

■豊島屋 本店(としまや ほんてん)

おとな旅 鎌倉

鎌倉みやげといえば、黄色いパッケージに入った鳩サブレが真っ先に思い浮かぶが、なぜ鳩なのか、という疑問を持つ人も多いようだ。理由は鶴岡八幡宮にある。段葛からまっすぐ進み、階段を上った正面にある本宮の楼閣には、八幡宮と記された額がかかっている。この額に書かれた八の字は向かい合う2羽の鳩がデザインされたもので、鳩サブレを考案した豊島屋の初代が、街の人々に親しまれている扁額の鳩をモチーフに菓子を作ったという。もともと八幡宮と鳩とは関わりが深く、お宮を遷す時に鳩が道を案内したという伝承が各地に残る。ことに鎌倉では軍神としての信仰が篤く、家紋に鳩のデザインを取り入れる武家も現れた。吾妻鏡でも、頼朝の念願叶って平家が滅亡した時には壇ノ浦で鳩が舞ったり、逆に鳩の死骸が凶兆となって比企の乱が起こったりと、神さまの遣いである鳩の姿がシンボリックに描かれている。
豊島屋では鳩サブレのほか、種類豊富な和洋菓子を販売。「段葛」や「若宮大路」、「銭洗いの泉」、北条家の家紋である「みつうろこ」など、鎌倉ゆかりの文物をテーマにした菓子も多い。四季を表したものもあり、いまの季節にはアジサイをモチーフにした、さわやかな彩りの商品が出揃っている。また近年、鳩サブレをさまざまにアレンジした雑貨や小物も人気。本店のみでの限定販売品もある。


おとな旅 鎌倉

 電話 :0467-25-0810
 住所 :鎌倉市小町2-11-19
 営業時間 :9:00~19:00
 休業日 :水曜(不定期)
 アクセス :JR鎌倉駅から徒歩5分
 駐車場 :なし
(『おとな旅プレミアム 鎌倉』 P.150)


*施設や店舗の営業などは事前にご確認ください。


画像素材: PIXTA 他


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